『時代の風音』:レジョナリズムの時代

時代の風音 (朝日文芸文庫)

時代の風音 (朝日文芸文庫)

堀田
……そして、ヨーロッパではだんだんレジョナリズムの塊になっていくと私は思う。

司馬
それはある意味では始末がおえなくなりますでしょうね。

堀田
ええ、そうです。しかし、ヨーロッパの場合、ここではヨーロッパの場合と限定して強調しなければなりませんが、ユニバーサリゼーションとレジョナリズムとのバランスがとれていくと思いますよ。

司馬
アフリカでも中近東でも行われていることですが、どういうわけだか指導的な部族が出てくるんです。だから、単純にアフリカ万歳ではいかなくなる。指導的な部族が他の部族を圧迫しはじめるということが、これからの世界です。
二十世紀の初めまではイギリスが統治していたから、息をひそめてそういうことはなかったらよかったですけど、これからはレジョナリズムが今後の世界を騒がすだろうと思います。

これを1997年以前に言っているのだから、堀田と司馬の先見性はさすが。“9.11”はこれを端的に示す象徴的な事件ですね。
最近では彼らのように言わず、グローバリゼーションとローカライゼーションと言いますか。すこしニュアンスがズレますけど。


ローカライゼーションでトピックといえば、ようやく再開した道州制がありますね。
道州制の導入によって物理的な争いが起こることはありえませんが、中央集権体制から脱して地域の独自性を発揮させるという面で重要な取り組みだとおもいます。
けっきょく、いっぽうで普遍性が価値を高めるようになれば、もういっぽうで個別性が重要になってくるということですね。究極のローカライゼーションは、主体が個人に帰着するのかもしれません。


市民参加型のまちづくりは、ローカライゼーション的な取り組みの一例です。
このうち、行政が主体となるまちづくりは、文字どおりローカライゼーションでしょう。行政が地域の独自性を出すために試行錯誤するわけですから。
いっぽう、市民が主体となるまちづくりでは個々人が重要になります。ボランティアや市民活動などは体裁としてはまとまりを持っていますが、原動力は一人ひとりの非常に個人的な動機だからです。


ネットや高い技術を個人が所有できるようになった時代、グローバリゼーションとともにうねりを生み出すのは、ローカライゼーションとその究極形としてのパーソナライゼーション(?)なのでしょう。

『時代の風音』:国家の輸出意識

時代の風音 (朝日文芸文庫)

時代の風音 (朝日文芸文庫)

司馬
日本は明治維新によって直ちに法による国家になったわけでないですけども、明治二十二年の憲法によって法による国家になった。
だから、これを近隣の国々に輸出したくなったんでしょうな。それはフランス革命を起こした連中が、フランス革命をドイツ人に教えたいと思ったことと似たような本能があった。日韓合併というのは、何から何までよくありませんでしたけども、何か教えてやろうという革命の輸出意識の気持ちがどこか日本人にあったといえるかもしれません。

日本は「理念なき侵略」とされていたとも見られますが、こうした輸出意識があったというふうに言うこともできるのかもしれませんね。

水平思考力養成パズル

水平思考力養成パズル (ブレインパズル・シリーズ)

水平思考力養成パズル (ブレインパズル・シリーズ)

帯の後ろ面に出ていた問題がこれ。

Q.パールの難問
1日の売上を調べていたパールは、カウンターにお札を並べて、そばにいた店長にクイズを出しました。
「お札を1枚だけ動かして、縦の列と横の列の合計が同じ金額になるようにできますか?」
【お札の並び】
       ?
$10 $20 $10 $20 $10
       $10

わかりますか?(解答はちょっと下)








答えはこんなのでした。

       $50
$10 $20 $10 $20 $10
       $10
【説明】
「お札を1枚動かす」の意味をよく考えましょう。
縦横の合計を同じにするには、そこにあるお札を動かす代わりに、財布から50ドル札を1枚出して置けばいいのです。

水平思考力を試す問題には、ありがちな答えですね。


こうした自分が無意識的に作り出している前提や既成概念を取っ払って答えなければならない問題が、本書には詰まっています。
むかしの「平成教育委員会」の問題の一部を思い出します笑(注:最近の「平成教育予備校」より、ずっとむずかしい問題と頭のよい解答者が出演した番組です)



ちなみに、ぼくがこの問題に対して出した答えはこうでした。

$20
$10 $20 $10   $10
       $10
【説明】
縦の列と言いますが、べつに1列じゃなくてもよいはず。
?マークが書かれているからといって、そこにお札を置かなければいけないわけではないでしょう。

個人的には、こっちのほうがスマートだとおもうんですけどね笑
どうでしょうか。ほかに別解とかあったら、おもしろいですね。

『時代の風音』:戦争と普遍性

時代の風音 (朝日文芸文庫)

時代の風音 (朝日文芸文庫)

宮崎
でもなぜそんなに殺したんでしょうね。なぜそういう世紀になってしまったのでしょうか。
司馬
人類がもっている普遍性へのあこがれですな。ブラック・ユーモアになりますけど(笑)。ベトナムでは、人殺しの道具といえば村の鍛冶屋がつくったナイフだけでした。やっと一人が一人を殺しうる道具で、一ヶ月に三人も殺せば、ヘトヘトです。ところがベトナム戦争では、背の小さいベトナム兵が、熟練度もないのにバズーカ砲をかついで、一台五億円もする戦車を簡単にやっつけてました。それを文明だと思うところに、私ども人間の暗い落とし穴があります。普遍的思想と、最終兵器の普遍性とがかなさっています。
キリスト教が広まったのもお、イスラム教が広まったのも、「これは普遍的なものなんだ」という思いからでした。それに加わらないと自分たちが田舎者になってしまう。イスラム教の場合も、二、三百年まえ、インドネシアの山の集落の人々が、商いのためにマラッカ海峡まできてイスラム教に接すると、これが普遍的なのだと思って結局イスラム教徒になった。そしてイスラムから来た商人と商取引する。「同じだ、同じだ」という気分があって、たがいに安心できる。だから大宗教が広まったのでしょう。

芸術面でも娯楽面でも高いレベルに達した『スラムドッグ$ミリオネア』

スラムドッグ$ミリオネア [DVD]

スラムドッグ$ミリオネア [DVD]

インドのスラムで生まれ育った子ども(スラムドッグ)が、クイズ番組に出演してミリオネアになるまでを描いた作品。インドのスラムでの生活をややセンセーショナルに描きつつも(構成上、そういったシーンばかりを抽出する必要があったから)リアリティを失わず、ミリオネアとロマンスでハリウッド的な大団円を迎える芸術的かつ娯楽的な映画でした。
全編を通じて主人公の“諦めない心”が描かれており、生き延びるためにアドホックな生き方を選択して運命に大きく左右される主人公がミリオネアとなり恋も成就させる過程が無理なく語られています。


主人公たちの周りでは非道なことが当然のように起こり、犯罪が日常化しています。いつ主人公に彼の身近なひとに災難が降りかかるかわからないので、月並みですが、最後まで手に汗握る展開です。
映画館で観るに十分値する映画だったとおもいます。

私的『告白』のラスト

告白

告白

「こんなふうだったら、おもしろいのでは」という思考実験として。


前回書いたように矛盾した2つの感情を登場人物に対して抱くようになる本書。ところが途中から、だれにも共感を抱かなくなりました。むしろ、全員、愚かな、悲しい人間にさえ見えてきます。
けっきょく、すべての登場人物が(多くのひとがそうであるように)身勝手な理屈で人を傷つけているのです。だれも彼もが幼稚な人間におもえてきました。
そんなとき、おもいついたのがこれから書くラストです。もちろんこれは、本来の結末とはまったくちがったものになっています。


最終章の語り手(以下、「彼」)は、報道番組の取材班か、新聞記者あたりがよいでしょう。彼が、仕事でこの事件について取材を始めるところから物語は始まります。
彼は、これまでの“告白”にあったような(読者も知る)事実についてはまったく知りません。そうした状況から取材を重ね、一遍の真実にたどり着きながらも大いなる誤解と歪んだ正義感、無根拠の先入観で事実の好ましい側面だけを取り上げて報道を始めます。この報道(=彼の“告白”)に当然、読者は違和感を抱くでしょう。
しかしこのとき、読者はもう一つの違和を感じるはずです。実際に起きている事件の報道に対して共感を抱いている自分に対する違和感です。


これを描いたとき作者は、読者にこう訴えかけているのです。
最終章の語り手に対して持った「あなたは物事の一面しか捉えずに、それと気づかず、それが真実だと短絡してしまっているのだ」という気持ちはそのまま、自分に返せるものなんですよ――と。
作中で、作者の視点はどの登場人物によっても語られず、すべての視点を追体験した読者をも巻き込んで、もっと大きなところから作者がすべてを批判的に語る、ということです。


そういう意味では、この作品の主人公は作者、または読者になります。
ただ、本来の結末においては『告白』における主人公は登場人物として設定されています。この点においては、本書は期待どおりではなかったといえるでしょう。
それでも、十分にラストでは驚かされ、楽しめる作品ではありました。

『告白』は、『DEATH NOTE』かとおもった。

告白

告白

登場人物が事件について、出来事や考えなどをまさに“告白する”という体裁がとられた本書。驚きのラストを迎える第1章「聖職者」に始まり、各章、登場人物たちの“告白”を読みながら驚き・悲しみ・悔しさ・憎しみ……さまざまな感情を抱きながら多面的に事件を捉えられる構成はとても興味深いものでした。


ところで、読みすすめるうちに「これって『DEATH NOTE』みたいだ」とおもうようになりました。
DEATH NOTE』といえば、週間少年ジャンプの雑誌キーワード「友情」「努力」「勝利」を既存の作品とは一線を画した形で表現した異色の作品でした。おもに主人公キラ(夜神月)の視点で描かれるこの作品は、ふつうは嫌悪し、憎しみの対象となる殺人鬼に、ともすれば感情移入をしてしまうような、「なんとかして、アイツを殺してくれ」と願ってしまうような内容でした。
そして、この意味で『告白』は『DEATH NOTE』のようだったのです。


“告白”する登場人物たちはあるいは人を殺し、殺させ、人を命の危機にさらします。さらにいろいろな登場人物となって“告白”を聞く読者は、以前、同情を寄せていた者に憎しみを覚えたり、この手にかけてやろうかとおもっていた者に共感したり……視点を変えるだけで一人のひとに対して矛盾した感情を抱えてしまう自分に直面するはずです。


この意味で、『DEATH NOTE』を彷彿とさせる、自分の矛盾を楽しむような作品でした。